法華寺の本堂

花沢の最北部にある法華寺は、市内唯一の天台宗寺院で、行基菩薩により天平10年 (738)に創建されたと伝わります。その後、 聖武天皇によって国分尼寺として認められたとされますが、詳しいことは分かっていません。天台宗となった時期も不明ですが、平安時代以後、比叡山延暦寺派の傘下に入ってからは多大な寺領を与えられ、山内、山外に16坊(大寺院に属する小院、僧侶の住居)を持ち、普門寺(焼津6丁目、現在は時宗)が南の門に当たるというほどの大寺院だったといわれています。


しかし、永禄13年(1570)、武田信玄の駿河侵攻に際し兵火に遭い、堂宇はことごとく焼失してしまいました。そのため、建物 はもちろん文書の類もすべてが失われ、元の伽藍があった位置を含めて、江戸時代以前の法華寺やその周辺の集落などの様子を知る手がかりはなくなってしまいました。


寺伝や本堂などの調査結果から、江戸時代の元禄7年(1694)から宝永3年(1706)まで13年を費やして、現在の位置に本堂や仁王門、客殿が完成しました。今に残る本堂は元禄8年(1695)建立で、単層、正面入母屋造り向拝付、背面寄棟造りで南面しています。屋根は茅葺きだったものを、明治38年(1905)に桟瓦葺きに改めています。外陣は板張りの床で、正面及び側面の三方を開放しています。仁王門は元禄16年(1703)の再建と伝えられ、単層、入母屋造り、銅板葺きです。壁はすべて横板壁とし、前部左右両脇区画に金剛力士像を安置しています。 法華寺境内にある日枝神社は、寺と同時期の創立と伝えられています。現存する建物は明治13年(1880)と昭和16年 (1941)の再建です。拝殿は入母屋造り、桟瓦葺きで、拝殿北側の覆屋内に一間社流造りの本殿を安置しています。

木像聖観音立像

像高169.2cmの直立等身大の立像です。桧の木造寄木造で、一部に漆箔が残っており、もとは全体に彩色が施されていました。穏やかな面貌、整った衣文などは平安時代後期の様式にのっとった造りとされます。法華寺の奥の院、東照(松)寺の本尊と伝えられており、永禄13年の武田信玄の侵攻の戦火の難を逃れ、再興された法華寺に祀られたといわれています。静岡県中部には類例の少ない都風の様式を示した仏像として、静岡県指定文化財になっています。


また、この観音立像は伝承により地元住民からは乳観音様とも呼ばれています。むかし、高草山の隣村のお嫁さんが乳の出が悪くて悩んでいました。毎日赤ちゃんを抱いて神仏にお願いして歩きましたが一向に効果がありません。ある日、赤ちゃんを背負い高草山を越え、麓の法華寺の門前で祈りました。その時、突然、イチョウの大木が光を発し観音様が現れました。『あなたの願いを叶えましょう』とお告げをいただきました。すると、お嫁さんの乳はその晩から溢れるほど出がよくなり、赤ちゃんは目に見えて大きくなり、村一番の元気な子になりました。


このことは、近郷近在に知れわたり大評判となりました。以来、法華寺は乳観音様を祀り、近郷近在の母子たちに喜び慕われて訪れる人が絶えなかったといいます。 法華寺のことを別称「ちっちかんのん」と呼んでいました。