那閉神社と青木神社

継体天皇3年(509)創建と伝えられ、「延喜式」に名前が残る式内社です。焼津市内では焼津神社(創建409年)に次ぐ神社として歴史を刻んでいます。祭神は八重事代主命、大国主命です。もとは虚空蔵山そのものが神の依代としての信仰の対象で、社殿を持たなかったという説があります。海中にある神の岩に遷座したり、虚空蔵山が海に接する断崖絶壁の御座穴にお祀りされたこともあるようで、後に今の位置に社殿が造られたとされます。焼津市東小川の熊野神社や藤枝市岡部町若宮八幡宮にも那閉神社が勧進されており、広く崇拝されてきたことが分かります。山や岩そのものを崇める形態はたいへん古い時代の姿と考えられます。


境内には、青木神社も祀られています。青木神社は、元青木の森に祀られていたもので、徳川と武田が戦った当目合戦に関係する神社です。(11頁『青木の森~当目合戦裏話』) なお、虚空蔵山は当目山とも呼ばれ、遠目山とも書き、海浜部に屹立する山容は遠方からでも見ることができるため、海からの目印として漁業関係者の信仰の対象ともなってきました。

那閉神社の常夜燈

《焼津市指定文化財》 高さ3.5mを測る焼津市内でもっとも規模の大きな燈籠です。文政5年(1822)11月の銘が記されており、信州高遠の石工に よって製作されました。石は青みが美しい当地産出の当目石が使われています。