江戸時代の地誌『駿河記』や旧祢宜家の山川氏古記録によると、若宮八幡宮は井伊直考の産土神とされており、寛永6年(1629)、第二代彦根藩主となっていた直孝が自分の生まれ故郷の地にある中里の若宮八幡宮を再建したといわれています。焼津市指定文化財の「若宮八幡宮の棟札」にも直孝による再建が記されています。祭神とは品陀和気命、御神体は馬上の木像と伝わります。
また、焼津市指定文化財に若宮八幡宮の棟札というものがあります。高さ152.2m、厚さ3.6m、重さ約5を測る、桧材の棟札です。表面に黒い漆を塗り、文字を彫って、その上から白色の顏料をかけて文字を著しています。若宮八幡宮が井伊直孝の氏神であることが刻まれており、直孝と焼津のつながりを示す貴重な資料です。
文字は江戸時代前期に活躍した 松花堂昭乗が書きました。昭乗は男山八幡 (石清水八幡宮)の社僧で、書家としては「寛
永の三筆」と称えられ、また画家としても優れていました